2024年9月26日(木)⛅️26〜27日に伊香保温泉に行って来ました♨️夕食まで時間が有ったので伊香保石段街を登り散策してみました👌地元、群馬県民の僕たちこの石段街を歩くのは人生で2回目です🤭妻は腰が痛いので途中までと言っていましたが、結局最後の365段まで上がり切りました✌️ここの上に伊香保神社が有ります⛩️それは次にて🙏
【伊香保】タイムスリップ!歴史を感じる関所跡
伊香保温泉の石段街に入ると「伊香保口留番所」と書かれた大きな門が。これは、寛永8年に設置された伊香保関所の跡なんです!決して広くはないですが貴重な場所。時代背景も交えて、どんな所なのかをご紹介♡
本サービス内ではアフィリエイト広告を利用しています
寛永8年(1631年)に江戸幕府(徳川家光)の命により設置され、渋川から伊香保・東村を通って中山宿へ行くルートの要所となりました。
現在ある門扉などは、当時の関所跡地に復元されたもの。明治2年に関所廃止令が出されるまで、設置から238年間、利用されたそう。
現在ある門扉などは、当時の関所跡地に復元されたもの。明治2年に関所廃止令が出されるまで、設置から238年間、利用されたそう。
甲冑や通行手形などの史料が展示されていて、貴重な史料を間近で見学することが出来ます。
これは、江戸に持ち込まれる鉄炮と江戸を出る女を取り締まる交通政策。
伊香保温泉は当時、2つの理由から子宝の湯として知られていました。1つ目は、伊香保神社が「古事記」や「日本書紀」の中で、子宝に恵まれるご利益があるとされていること。2つ目は、温泉の効能の1つが冷え解消であること。
このことから女性も多く訪れていて、人の出入りが多く、「入り鉄砲(いりでっぽう)と出女(でおんな)」という交通政策のもと、厳しい取り締まりが行われたそう。(関所跡内看板より)
入鉄炮は江戸の治安維持のため、出女は江戸屋敷に人質として置かれた大名の妻女の領国脱出を防止するためだったと言われています。
伊香保温泉は当時、2つの理由から子宝の湯として知られていました。1つ目は、伊香保神社が「古事記」や「日本書紀」の中で、子宝に恵まれるご利益があるとされていること。2つ目は、温泉の効能の1つが冷え解消であること。
このことから女性も多く訪れていて、人の出入りが多く、「入り鉄砲(いりでっぽう)と出女(でおんな)」という交通政策のもと、厳しい取り締まりが行われたそう。(関所跡内看板より)
入鉄炮は江戸の治安維持のため、出女は江戸屋敷に人質として置かれた大名の妻女の領国脱出を防止するためだったと言われています。
写真右奥の少し高さのある石は「取り調べ石」と呼ばれ、当時、関所の役人が腰掛けて取り調べをした石。
左側の平らな石は「お辞儀石」と呼ばれ、旅人が役人の前で平伏して手をついた石と言われています。(関所跡内看板より)
左側の平らな石は「お辞儀石」と呼ばれ、旅人が役人の前で平伏して手をついた石と言われています。(関所跡内看板より)
江戸時代の一部が切り出されたようなこの場所。誰でも無料で見学出来るので、ぜひゆっくり見学してみてくださいね♡
- シェア
- ポスト
- 保存
※掲載されている情報は、2024年09月時点の情報です。プラン内容や価格など、情報が変更される可能性がありますので、必ず事前にお調べください。