更新日:2020年11月25日伊香保群馬観光【伊香保】タイムスリップ!歴史を感じる関所跡伊香保温泉の石段街に入ると「伊香保口留番所」と書かれた大きな門が。これは、寛永8年に設置された伊香保関所の跡なんです!決して広くはないですが貴重な場所。時代背景も交えて、どんな所なのかをご紹介♡この記事の目次「伊香保口留番所」に到着!建物内には当時の史料がたくさん!「入り鉄砲」と「出女」とは?「取り調べ石」と「お辞儀石」とは?じっくり見学がおすすめ!「伊香保口留番所」に到着!Aya♡寛永8年(1631年)に江戸幕府(徳川家光)の命により設置され、渋川から伊香保・東村を通って中山宿へ行くルートの要所となりました。現在ある門扉などは、当時の関所跡地に復元されたもの。明治2年に関所廃止令が出されるまで、設置から238年間、利用されたそう。建物内には当時の史料がたくさん!Aya♡甲冑や通行手形などの史料が展示されていて、貴重な史料を間近で見学することが出来ます。「入り鉄砲」と「出女」とは?Aya♡これは、江戸に持ち込まれる鉄炮と江戸を出る女を取り締まる交通政策。伊香保温泉は当時、2つの理由から子宝の湯として知られていました。1つ目は、伊香保神社が「古事記」や「日本書紀」の中で、子宝に恵まれるご利益があるとされていること。2つ目は、温泉の効能の1つが冷え解消であること。このことから女性も多く訪れていて、人の出入りが多く、「入り鉄砲(いりでっぽう)と出女(でおんな)」という交通政策のもと、厳しい取り締まりが行われたそう。(関所跡内看板より)入鉄炮は江戸の治安維持のため、出女は江戸屋敷に人質として置かれた大名の妻女の領国脱出を防止するためだったと言われています。「取り調べ石」と「お辞儀石」とは?Aya♡写真右奥の少し高さのある石は「取り調べ石」と呼ばれ、当時、関所の役人が腰掛けて取り調べをした石。左側の平らな石は「お辞儀石」と呼ばれ、旅人が役人の前で平伏して手をついた石と言われています。(関所跡内看板より)じっくり見学がおすすめ!Aya♡江戸時代の一部が切り出されたようなこの場所。誰でも無料で見学出来るので、ぜひゆっくり見学してみてくださいね♡人気その他伊香保関所群馬県伊香保★★★★★★★★★★4.01評価の詳細4.01口コミ2件投稿写真3件記事1件各サイトから提供された情報を参考にした上で、aumoに投稿された口コミや写真の件数、紹介している記事の件数をもとに点数を算出しております。あくまでも目安のひとつであり、施設の品質を保証するものではありません。外部サイトの評価じゃらん観光3.62件3件 寛永8年(1631)に設けられた伊香保村口留番所(くちどめばんしょ)の跡です。当時は間口5間、奥行3間の約15坪の茅葺屋根の建物があり、周囲に木柵を巡らせ、東西に門扉が設けられていました。関所番役人は伊香保の大屋(年番)2名、下番2名の計4名が勤めていました。 建物などは復元されたものですが、門柱の礎石は当時のもので、この場所から発見されたものです。 江戸時代になると伊香保の湯治は流行となり、各地からさまざまな人が訪れるようになりました。往来者の増加に伴い、三国街道の裏往還にあたるこの地にも番所を置いたのです。婦女子の浴客もここで取り締まりを受けました。利用シーン紅葉夏秋冬2月7月10月住所群馬県渋川市伊香保町伊香保甲34アクセス(1)渋川駅からバスで25分 徒歩で5分営業時間休業:第2・4火曜日 公開:9:00~17:00ユーザーのレビューユーザーのレビューにラベルが表示される場合■TOPユーザー魅力的な投稿を多数されているユーザーを、aumoを代表する存在「TOPユーザー」と認定しラベルを表示しています■特定のエリアに対する投稿数特定のエリアに対する投稿が5件以上あるユーザーに対して、投稿数を段階的に表示しています群馬県100投稿jun1216伊香保石段街の横にあるハワイ王国公使別邸。投稿日:2022年2月9日Aya♡伊香保温泉の石段街にある「伊香保関所。寛永8年に設置され、渋川から中山宿へ行くルートの要所だったそう。・決して広い場所ではありませんが、誰でも無料で入ることができ、甲冑や通行手形など、史料を見学することが出来る貴重な場所。・温泉街の佇まいからさらにタイムスリップして、歴史を感じられるスポットです。・詳細は記事にも書いているのでご覧ください。・投稿日:2019年10月28日シェアツイート保存※掲載されている情報は、2020年11月時点の情報です。プラン内容や価格など、情報が変更される可能性がありますので、必ず事前にお調べください。