会津さざえ堂
会津若松・東山温泉/その他
白虎隊の悲劇の舞台と知られる飯盛山に、美しい螺旋を描く国指定重要文化財の会津さざえ堂。何だかとても不思議な建物で、一方通行なのに上る人、下る人がすれ違うことがない。堂内で三十三観音巡りがスムーズに出来るように設計されたらしい。10枚目の写真、飯盛山に登る前に麓で牛串と豚ヒレ串🐂🐖
白虎隊自刃の地からさざえ堂に思っていたより小さいです入り口に龍の木彫り🐉がお出迎え❗️螺旋状の通路を上る床はミシミシ音がします😅最上階の天井には無数の千社札が通路を下るとわかるのが上りと下りが全く別の通路になっている一方通行の構造で建物の構造がとても複雑で当時の建築技術がとても凄いです今の技術でも難しいのでは❓何とも摩訶不思議なお堂でした。
会津武家屋敷
会津若松・東山温泉/ガラス細工作り
會津藩西郷家老家を復原した屋敷は壮大。敷地面積約三千坪、建築面積はその一割。西郷家は千七百石取りで一石が米二俵半だから。会津藩家老西郷頼母邸を復元した施設を中心とした、歴史テーマパークです。資料館や特産店などが並んでます。資料館は会津の幕末期を中心に展示されており、見ごたえがあります。展示品は当時の民俗資料と鉄板の戊辰戦争もの。鶴ヶ城や県立博物館の展示資料と類似する部分も多々あるが、新選組にまつわる展示が目新しかった。やはり戊辰戦争とは会津にとって驚天動地の事件だったのだろうと感じた。
福島県会津市武家屋敷🚶🏼♀️🚶💨💨💨💨精米所、米藏、、、来客用玄関と別に、、家人の玄関が別に在りありました広い敷地と部屋が沢山在りました😅😄😄😄一度観てみる価値は有りますね😄😄😄😄
飯盛山(イイモリヤマ)
会津若松・東山温泉/その他
福島その4飯盛山に行きました階段がかなり急なのでスロープコンベアで上まで白虎隊の方のお墓に手を合わせてから🙏自害した場所へ若くして自害した尊い命の事を思うと胸が熱く込み上げ悲しくなりました改めて景色を見ながら黙祷を捧げました。
飯盛山は、会津若松市街の東2キロにあり、城下町を一望に見渡す小高い山で、その頂上には約1650年~1700年前につくられた前方後円墳であり、隠れキリシタンの祠もあり、地元滝沢村住民の共同墓地でもある。そして古くは古代四道将軍、弁財天、日本武尊などの神話も残り、1600年以上、連綿と会津盆地を見守る信仰の山です。ここには、白虎隊十九士の墓、各地で戦死した三十一士の墓や、イタリア並びにドイツから贈られた記念碑、さざえ堂、宇賀神堂、厳島神社、白虎隊引揚の洞門、市天然記念物の太夫桜など、数多くの神話、史跡名所が残っております。また、ふもとには戊辰戦争時には会津藩の本陣となり、藩主松平容保公が白虎隊士に戸の口原への出陣を命じた『旧滝沢本陣』、2013年NHK大河ドラマ八重の桜のオープニングで使われた市天然記念物の『石部桜』がある。現在では、『ならぬことはならぬ』の会津精神、戊辰戦争の折に、白虎隊が自刃した地として知られあまりにも有名です。木々に囲まれ並ぶ墓石には今もなお訪れる人が多く、山腹の墓前には御線香の煙が絶えることはありません。「動く坂道」スロープコンベアをご利用になれば山上まで石段を登らずに楽に登れます。石段は山頂までは183段。飯盛分店は155段目です。
若松城天守閣
会津若松・東山温泉/博物館
福島の続き茶室麟閣から鶴ヶ城天守閣へリニューアルオープンで城内はキレイに博物館の展示物は写真🆖でした最上階の展望室からの眺めは最高!気づいたのが瓦が赤い😳説明では当初西日本で発達した黒瓦(いぶし瓦)が葺かれていましたが、北国・雪国ならではの低温や積雪に耐えられるように、保科正之の命により鉄分を多く含んだ釉薬を用いた赤瓦が会津で開発されました。やがてこの赤瓦は奥州各地に広まっていきましたが、現在、この赤瓦を用いた天守閣を見ることができるのは、国内ではここ鶴ヶ城だけだそうです下に降り若松城本丸天守続櫓にデジタルアートミュージアム「鶴ヶ城光の歴史絵巻を見学へ。
南北朝の時代から城主が何人も変わり、時代とともに大きな役割を担った場所。歴史的にも面白いお城です。そんな歴史を天守内では、イロイロな趣向で紹介されており、歴史に疎い私にもとてもわかり易い解説でした。また、近隣にはお土産屋さんやご当地グルメの飲食店などが多くあるため、レンタカーでの観光が便利かと思います。
戸ノ口堰洞穴
会津若松・東山温泉/その他名所
さざえ堂から戸ノ口堰洞穴へ猪苗代湖から通水した洞穴です白虎隊が洞穴から出てきた場所です水量が今も凄いです猪苗代湖からここまでの工事沢山の人が関わったのかと思うと凄い🤔
福島県会津若松市一箕町、飯盛山の中腹、会津さざえ堂の麓にある洞穴。飯盛山の山腹の水流の中、ぽっかりと口を開けている洞門。猪苗代湖の水を会津地方に引きために掘られた洞穴で戸ノ口堰洞穴といいます。猪苗代湖畔・戸ノ口原の戦いで破れた白虎隊士や二十名は鶴ヶ城を目指して、この長さ150ⅿの洞穴を潜って命からがら飯盛山の中腹にたどり着いたのです。そうして飯盛山の中腹にたどり着いた末、彼らは城下の黒煙を目にすることとなり自刃したのです。戸ノ口堰洞穴の側には水神社・厳島神社がたっています。
この施設を予約できる外部サイトで見る