高野山 金剛峯寺
高野山/神社・神宮巡り
30年ぶりに引き寄せられて。参拝させて頂きました💕ここに来ると命の大切さを感じます🌻私の周りにいる方全てがいつも笑顔😁😆😃😄になりますよーに💓
今日は有給休暇を取り、四国霊場88結願して三年経ってしまいましたが高野山へお礼参りに行って来ました。会社仲間と3人で南海フェリー徳島港発、和歌山港着のルートで🚢🚗💨本当は日曜日予定でしたが帰宅時間が遅いので土曜日に変更💦大雨です😅変更しなければ晴れでゆっくり写真撮りながらあちこち寄りながら行けたんですが〜💦その余裕などなし💦💦金剛峯寺はまだどじゃ降りではなく、なんとか雨風の中写真撮れたんですが、、御朱印頂いて出る頃にはどしゃ降り。ゆっくり見物もできない程😵まず急いで奥の院まで車で移動しました🚗💨屋根のある駐車に。警報が出ていたらしく、、線状降水帯だったと思います💦凄い雨、、、参道、水が溜まり川状態💦土石流でも来るか状態でなんせ水が溜まり靴はビチョビチョ、服も絞れるくらい濡れそれでも中々来れない奥の院へ靴の中まで水が入り靴下も濡れ💦参拝済ませて、御朱印頂きました。納経帳が少し濡れてしまって、乾かしてくれました。帰りまた濡れないように気遣い頂き袋も頂きましたよ。深々とお礼して大雨の中また水溜りの参道を帰りました💦その為奥の院の写真が1枚しかありません😵残念😢絶対心に残る高野山になりました😆奥の院をぐるっと回って裏側に。空気が変わりました💦何でしょー無になれる🍀気が落ち着く?自分自身、手を合わせ暫く無になり、、深呼吸。最後にお礼参り。本当もう暫くこの場所で無で居りたかった。居りたいと思いましたね。1人で来てないので、今度来る時は1人で来ようと思いました😊
奥之院
高野山/その他神社・神宮・寺院
高野山奥之院お札を返しに神秘的なこちらへ。静寂で聖域のような雰囲気でキリリとした空気が気持ちよく何かすっきり。神秘的な空間。。一の橋から御廟までの約2キロメートルの道のりには、およそ20万基を超える諸大名の墓石や、供養塔、慰霊碑の数々が杉木立の中に立ち並んでいます。参道には織田信長や武田信玄、豊臣秀吉など戦国大名の墓石やお化粧をすると美人になるといわれている「化粧地蔵」や人々の苦しみの身代わりになってくれている「汗かき地蔵」なども安置されていますよ。そもそも奥の院とは。。寺院または神社の奥にあって、ゆかりの深い秘仏もしくは祖師開山を安置する場所、あるいは堂舎のことです。てっきり奥之院というお寺だと思っていた。。寺院などのなかでもっとも神聖な区域とされ、本堂から離れた後方の山上や岩窟(がんくつ)内に設けられて、有事の際に備えかつ参拝者の信仰を深くさせる。総本山金剛峯寺という場合は金剛峯寺だけではなく高野山全体を指します。普通、お寺といえば一つの建造物を思い浮かべその敷地内を境内といいますが、高野山は「一山境内地」と称し高野山の至る所がお寺の境内地であり、高野山全体がお寺なのです。そこで本堂はどこ?ってなりますよね?高野山の本堂は、大伽藍にそびえる「金堂」が一山の総本堂です高野山の重要行事のほとんどは、この金堂にて執り行われます。山内に点在するお寺は、塔頭寺院(たっちゅうじいん)といいます。お大師さまの徳を慕い、高野山全体を大寺(だいじ総本山金剛峯寺)に見立て、山内に建てられた子院のことです。現在では117ヶ寺が存在し、そのうち51ヶ寺は宿坊として、高野山を訪れる参詣者へ宿を提供しています。高野山で有名なお参りどころのひとつで、「日本の総菩提所」とも呼ばれています。となると次は総本山金剛峯寺として回ってみたいし奥之院だってちゃんとした順番で参拝したいな。。
【高野山奥之院】一の橋から御廟まで約2キロメートルの参道には、おおよそ20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が、樹齢千年に及ぶ杉木立の中に立ち並んでいるそうです。今まで見たことのない景色が広がっていました。
奥の院経蔵
高野山/その他
奥の院への紅葉狩り🍁赤や黄色やオレンジに色付いた紅葉に癒されてきましたぁ🥰今年は急に冷え込んだ影響なのか、紅葉が早めなのかもしれません次は何処へ行くかな
四国霊場八十八ヵ所満願お礼参りで、高野山奥の院に行ってきました。ケーブルカーで、山頂に降りた瞬間から、空気の清々しさを、感じて静寂で、ゆったりと、時の流れの、天空の世界に来た様な気持ちでした。四国、八十八ヶ所霊場のあの約1300kmの厳しく、壮大な道程の最後の奥の院の出迎えには、心優しい弘法大師に感謝しました。現在も弘法大師と共に生活を、していると言う信念は、素晴らしいですね。高野山奥の院とても良かったです。まず、大名のお墓や供養塔に萌でした(笑)凄く沢山の武将様がここに供養されているみたいです。一の橋から、中の橋を通り奥の院まで行くのですが、とても素晴らしい立派な墓石が沢山あり、心が浄化されて行くような感じでしたよ。織田信長の墓の先に最後の橋があります。その橋を渡ると、撮影は禁止になります。