東京大神宮
飯田橋/その他神社・神宮・寺院、パワースポット
東京大神宮@tokyodaijingu大切な友人ご夫妻の新しい生命が無事産まれてくるよう、母子共に健やかであるよう心を込めて東京のお伊勢様、東京大神宮に参拝へ。三年ぶりに東京大神宮へ参拝に行きましたが前回と変わらず、本殿の凛とした気を感じます。こちらへ来ると私は心や身体がスッキリします☆やはり女性参拝者が多いのですが、11月だったので七五三やお宮参りの方達も多く、賑わっていましたよ。境内のハートマークを数えながら境内の菊を愛で帰りました♪●ご祭神【主祭神】・天照皇大神・豊受大神【配祀神】・造化三神天之御中主神高御産巣日神神産巣日神・倭比賣命住所東京都千代田区富士見2丁目4−1電話03-3234-6611受付時間:9:00〜16:30予約は必要なし祈祷料5千円〜最寄り駅JR飯田橋駅西口徒歩3分地下鉄飯田橋駅徒歩5分⛩
🕊️東京大神宮@東京/飯田橋東京に引っ越ししてからから、ずっと参拝したかった神社ᵕ̈*日曜日の参拝でしたが、お正月後だからなのかかなり行列で20分ほど並びましたꕤかっこいい御朱印(久しぶりの直書き)とポストカードを頂きました⛩︎直書きの御朱印だったので、15分ほど待ちましたが書き置きだとすぐ頂けるかと思います♪1/15〜25まで期間限定で、「幸せの煌き花手水」になるそうです✿あと1日惜しかった、、🥲「東京のお伊勢さま」として伊勢神宮の御祭神を祀っているそうです☽伊勢神宮になかなか行かない方でも、東京で同じお伊勢さんご利益を授かることができます✦境内には、所々建物に♡(ハート)が施されていて可愛かった🤍隠れミッキーを探すかのように、私はひたすらハートを探していました⚆⚆ハートに気づいていない方が多かったかも??恋みくじは特に女性が多く、結果をみて一喜一憂している姿が反応が可愛くてほっこりしましたٍٛ.̫.ٍٛ東京大神宮から赤城神社まで、徒歩18分ほどで行けるので御朱印巡りにもオススメです👣ちょっぴり坂がありますが、のんびり神楽坂の街並みを楽しみながら向かうとあっという間でした!今回は人が多くてゆっくりまわれなかったので今度はゆっくり参拝したいと思います☺︎
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日本橋海鮮丼 つじ半 神楽坂店
飯田橋/海鮮丼
17:30ごろうかがいました!ランチはとても混雑するようですが、夜は待ち時間なく入れました◎六本木店はその時間でも混雑しているイメージなので、神楽坂店は穴場でした♩メニューはシンプルに海鮮丼のみ。梅、竹、松、特上でお値段が上がって、雲丹、蟹、いくらが上乗せされるシステム。今回は梅にしました。梅はいくらとまぐろがのっていて十分満足な美味しい海鮮丼が食べれました!最後は鯛出汁を入れてくれてお茶漬けにしてもらえました。ご飯も追加可能(^^)東京で¥1250でこんなに美味しい海鮮丼が食べられるなんて、、、!幸福感高まる一食でした♡◽︎梅¥1250Instagram@mogomogotaberu
お盆中神楽坂!もしかしたら空いてるかもよと神楽坂のつじ半に来てみたら案の定並んでない!意気揚々と乗り込み海鮮丼を食べて来ました!頼んだのはベーシックな梅!マグロ中落ちイカ数の子きゅうりつぶ貝ミルガイ海老イクラとネギが上に乗って山盛りに!まず先にゴマだれのかかった刺身が3切れと黄身と醤油の混ざったタレがサーブされます!このゴマだれの刺身は後半鯛出汁茶漬けにする為に残しておいても良いし一切れ食べて待つもよし海鮮丼がサーブされたらまず山を崩し一口頂くそして黄身醤油にワサビを解く丼の中の海苔と大葉をちゃんと分けて散りばめてから本気喰いスタート!卓上のガリが胡麻と昆布と和えてあり美味いのだがこれも丼に散りばめながら食べ進めます!3分の2食べたら店員さんに出汁お願いしますと丼を渡すご飯足しますかのコールもちろんお願いしてご飯の増えた出汁茶漬け登場この出汁が鯛でしっかり取った濃厚だし残しておいた胡麻タレ刺身を投入軽く色が変わるか変わらないかをかき込みます!そりゃ美味いのなんの最高っす!ご馳走様でした!食後店外に出ると10人ほど並んでたお盆で空いてたのではなくタイミングが良かっただけでした!あはは🤣
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伝通院
飯田橋/その他神社・神宮・寺院
【傳通院と新選組】徳川家康公の生母:於大の方(おだいのかた)を開基とする傳通院(伝通院)に墓参に行って参りました。場所は文京区の小石川にあり、水戸黄門(家康公の孫)様で有名な光圀公の庭園も近くにあります。傳通院は(でんづういん)と呼ばれ、於大様の法名から名づけられました。そして忘れてはならない逸話な話が、幕末の治安維持の為に250名の浪士達(後の新選組)が集められた場所でもあり、ここから3グループに別れて京都に出発したそうです。
傳通院は応永22年(1415年)、浄土宗第七祖了誉が開山したお寺です。当時は小石川極楽水の小さな草庵で、無量山寿経寺という名で開創されました。それから200年後の慶長7年(1602年)、徳川家康公の生母於大の方が伏見城で逝去。その法名を「傳通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼」と号し、この寿経寺を菩提寺としたことから「傳通院」と呼ばれるようになりました。正保4年(1647年)には家光の次男亀松君が葬られ以来徳川幕府の外護を賜り諸堂伽藍を整えて参りました。教学教化面では、慶長18年(1613年)増上寺の学問僧300人を傳通院に移して、関東の十八檀林の上席とし年を重ねるにつれ、学寮に席をおくもの千人を下らぬという状況になったそうです。
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