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伊根の舟屋
天橋立/その他
伊根の舟屋夕日ヶ浦に行く前にこちらでふらっと。海際に立ち並ぶ家々が見れる伊根。昔は漁で木造船を使用していたため、船を海から引き上げて、乾かし風雨や虫から守るために建てられた舟屋。海に家が浮かんでいるように見える普段では見ることのできない景色。キラキラ光る海がきれいだなー伊根湾の沿岸にはこのような「舟屋」と呼ばれる建屋が約230軒、軒を連ねています今では船もFRP(繊維強化プラスチック)製となったりまた大型化したため、船を引き上げずに舟屋の前に係留している家がよく見られます。ただ作業用の小船を持っている家も多いため、そういった船は今でも舟屋の中に収納されていて船を収納することがなくなった舟屋は、魚を料理する際に使ったり、洗濯物を干したりと海の暮らしの場として使っているんだって。ちなみに舟屋は船を置く場所で住んでる人は少なく、道を跨いだところにある家で主な生活をしているらしい。海を見ながら海鮮を楽しめたり酒蔵があったりとお散歩もいい感じ。
長閑な漁村・伊根の舟屋日本一周ドライブ旅(西ルート)34日目、城崎温泉、天橋立を経て訪ねたのは伊根の舟屋です。訪ねたのが6.8土曜日とあって、中心部にある伊根観光協会駐車場は満車で、少し先の七面山駐車場に止めることができました。13年前に訪ねたときは「長閑な漁村」という感じでしたが、すっかり観光地化され観光客も7~8割が海外の方でビックリしました。それでも中心部を少し離れて散策すると、昔ながらの長閑な風景を眺めることができよかったです。最後に伊根の舟屋を俯瞰しようと「道の駅舟屋の里伊根」に向かいました。しかし、駐車場は満車で長蛇の列になっていたのではあきらめ、次のスポットに向かいました。
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夕日ヶ浦温泉 夕日浪漫 一望館
京丹後/旅館
夕日ヶ浦海岸から徒歩30秒の所にあり綺麗な夕日が見れる旅館、一望館。2つの館がある和モダンの素敵な立物です。温泉側のロビーは中庭を見ながら、あったまった体でゆっくり休憩できます!!別館では、蟹が食べてれ日帰り温泉におすすめです。京都府京丹後市網野町浜詰266TEL:0772-74-0190
夕日ヶ浦温泉夕日浪漫一望館朝風呂でデトックス。ぽかぽかで朝ごはん♡朝食・炊き立て炊きごはん丹後米をふっくらと炊き上げました・選べるお味噌汁かにのお味噌汁と豚汁お好みの方をお選びくださいませ・篭盛り・小松菜お浸し・茄子揚者・漬物・貝のずんだ和え.ひじきうどん・手作り蒸し豆腐・子持ちきくらげ・季節の和菓子・出汁巻たまご巻き立てをお持ちいたします・地元カレイの干物・牛肉と筍のしぐれ煮また炊き立てのご飯がたまらん。旅館の朝ごはんってなんでこんなに魅力的なんだろう。。普段食べないのにめっちゃ食べちゃうおにぎりにして持って帰りたい。。笑ご馳走様でした☆交通アクセス車:京都縦貫道・京丹後大宮ICより約40分最寄駅:夕日ヶ浦木津温泉駅より車約5分無料送迎有(要予約)ビーチまで徒歩5分以内大阪:車以外/京都丹後鉄道夕日ヶ浦木津温泉駅下車/約5分車/中国自動車道→舞鶴自動車道/綾部JCT→京都縦貫道→~京丹後大宮IC~R312→府道17→R178→網野町浜詰送迎あり宿までご連絡下さい(要予約)パーキング有り(無料)#🦀
舞鶴港とれとれセンター
舞鶴/その他ショッピング
明るく清潔で魚介を串に刺してあり、その場で座って焼きながら居酒屋気分で食べられるので時間を忘れます。新鮮な魚介類を買うことはもちろん、その場で食べることも可能。ただ、観光バスも止まるような場所なので、常に混んでいる。駐車場も、けっこう広いわりには混む。その場で食べる時は、まず席の確保から。海鮮丼やお寿司の店は中にあるが、オリジナル丼を作りたければ、それらの店でご飯もしくは酢飯のみを買い、他の店で気に入った具材を購入して上に乗せる手もある。全体的には決して安くはないので、財布と相談しながら買うこと。
舞鶴とれとれセンターに行ってきました!新鮮な魚介類を堪能しました。店内はアルコールで消毒しソーシャルディスタンスも施されてました。ハマチ、鯛、烏賊、サーモン、甘海老のお造り、甘鯛、カレイ、鰰の焼き物も、絶品でした。行き帰りも渋滞も無く、スイスイでした!
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夕日ヶ浦温泉 時季を彩る 佳松苑
京丹後/旅館
・2023.9.24→9.25佳松苑っていういい感じの旅館に泊まってきた!!部屋めっちゃ広くて景色綺麗やし、露天風呂付きやし最高すぎたー♨️テラスみたいなところ気に入りすぎて結構な時間そこで過ごした笑夜ご飯は鮑と蟹と肉堪能できて、朝も海鮮丼食べれて、食も満喫🤤普段の旅行はあんまり、泊まるところ気にしてなかったけど、こーいうまったりな旅行もめっちゃいいなーって思った✨またいこー!!!(最後は最高のお土産発見💡笑)@kirara.0530.0604様、ご協力ありがとうございました😊
ここは。。。ガッカリでした。。。全てがハリボテ感。この入り口の松?の植木。。。フェイクでした。良かったのはお部屋のみ。でもお部屋もなんかへんな匂いがあったし。。懐石料理で予約したのに全てがテーブルの上に置かれていてめちゃくちや狭くて食べにくいし中居さん1人で何家族も担当されてたみたいだしすごく待ったり結局自分で取りに行ったりもっと納得いく代金なら動けるので動きますけどゆっくりしたくて行ったので。。駅前のビジネスホテルの方がよっぽど行き届いてる。ビジネスホテルに失礼書き方してもうしわけないけどなかなかの代金家族がしはらったみたいなのに誰も満足せずに帰りました。ここはオススメしません!!個人の感想。。あたしの家族の感想ですが。。まだまだ書きたいことあるくらいですが行かない方がいいと思います。
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伊根湾めぐり遊覧船
天橋立/その他
間近でトンビ捉えた伊根湾クルーズのベストショット(^^)
2025.3/11【伊根の舟屋】へ。数年前から訪れたい。と思ってきた【伊根の舟屋】九州からは遠方で、個人では行きにくいからと諦めていたけれど、丁度、このあたりの観光地を巡る旅行会社のツアーがあって参加しました。やっと来ることができて、ウキウキわくわくしながら観光船から街の様子を観ることが出来ました。以下は観光協会の説明文よりお借りしました。【舟屋とは】海際に立ち並ぶ家々。まるで海に浮かんでいるようにも見えます。伊根湾の沿岸にはこのような「舟屋」と呼ばれる建屋が約230軒、軒を連ねています。舟屋とは、もともと船を海から引き上げて、風雨や虫から守るために建てられた施設。昔は漁で木造船を使用していたため、それを乾かす必要があったのです。船を収納する一階に対して、二階はかつて網の干し場や漁具置き場として使われていました。二階のつくりも今のようなしっかりとしたものではなく、板を渡しただけの簡単な構造のものだったようです。今では船もFRP(繊維強化プラスチック)製となり、また大型化したため、船を引き上げずに舟屋の前に係留している家がよく見られます。ただ作業用の小船を持っている家も多いため、そういった船は今でも舟屋の中に収納されています。また船を収納することがなくなった舟屋は、空いた一階を魚を料理する際に使ったり、洗濯物を干したりと海の暮らしの場として活用されています。【住民は主に向かいの主屋に住む】家のような形をしているので、舟屋に人は住んでいるの?とよく尋ねられるのですが、一般的には舟屋に住んでいる家庭はそれほど多くはありません。先述したように舟屋は漁師の仕事場としての機能が主であるため、道1本挟んだところに主屋(母屋)という生活の拠点となる家を別に持っていることが多いのです。大半の場合はその主屋に住むことが多いのですが、子ども夫婦の住まいや老後の離れとして舟屋を使う場合もあります。※スポット出ません
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成相寺
天橋立/その他
数年前の桜。どうよ、この青空❤雲ひとつない!どうしょうもないぐらいの雨女でも晴れるんです!ちょっと桜散ってるけど、黄砂も花粉も少ない日でクリアに写真撮ることができました!その分、風が強くて、寒かったー。(T_T)なんせ、山の上なもんでね。。。_travel
昨日は弾丸バスツアーで西国三十三観音参り(*´`*)28番札所成相寺聖観音様お参り行って来ましたコロナで1月に行った以来の再開でした٩(ˊᗜˋ*)وたまたま見ていたサイトで見つけて丁度自分達がこれから廻る場所でしたラッキー🍀チケットも割引おまけに地域商品券付いて合計半額で行って来れましたこれまたラッキー🍀お天気は曇天でしたがよいお参りでした(-∧-)合掌先達さまも付いてくれてお寺さんの説明もしてぐださりました⑅︎◡̈︎*天橋立すぐ近くでしたよ聖観音さま1番人間に似てることから美人観音とも呼ばれている見たいです季節の🍁✨の御朱印も頂いて来ました10/5お参りNo.1
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立岩(京都府京丹後市)
京丹後/特殊地形
とても波が荒くてそれがとてもキレイで自然美に心奪われる
後の聖徳太子の母・穴穂部間人皇后が、蘇我、物部氏間の戦乱からこの地に身を隠し、戦乱が収まった後、都へ帰る時に村人へ感謝の念を込め自らの名「間人」を村名に贈りました。村人は皇后の名をそのまま地名にするのはおそれ多いとして、皇后の御退座にちなみ、「間人」と書いて「たいざ」と読むようになったと伝えられています。立岩の畔には「間人皇后・聖徳太子母子像」が、間人の海を見守るように優しくたたずんでいます。間人後釜ヶ浜の交差点に『立岩』駐車場🅿️の看板があります。細い道を奥へ進みます。6世紀末、聖徳太子の母で、用明天皇の后の穴穂部間人皇后が、蘇我、物部氏間の戦乱からこの地に逃れ住み、乱がおさまった後、都へ帰る時に里人へ感謝の念を込め自らの名「間人」を村名に贈ったそうです。里人は皇后の名をそのまま地名にするのはおそれ多いとして、皇后の御退座にちなみ、「間人」と書いて「たいざ」と読み伝えたといわれている。彼女の滞在を記念したこの像は、受けた恩を忘れぬように、そして里人がいつまでも優しい心をなくさないようにと願い、間人の海を見守るように優しくたたずんでいます。外出自粛中にて数年前画像
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