延暦寺
大津/その他
比叡山延暦寺このお寺から油断という言葉が生まれたそうです。うっかり油を切らし、火が消えたことから
今年最初の紅葉🍁は滋賀県の比叡山延暦寺に~🚗³₃行きたかった場所は紅葉しておらずこちらも見頃かどうか不安でしたが…標高が高いだけに下界よりは紅葉🍁してて一安心ε-(´∀`;)ホッけど広すぎて徒歩ではとても回れません💦車移動しながら紅葉狩りを楽しんできました☺️平成6年世界文化遺産に登録された比叡山・延暦寺は、滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院。京都府と滋賀県にまたがり、山内には天台宗総本山「比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)」があります。奈良時代末期、19歳の最澄(さいちょう)が比叡山に登り草庵(そうあん)を結んだのが始まり。天台宗を開宗してから、弘法大師・空海の開いた高野山金剛峯寺と共に、日本の宗教界最高の地位に君臨。また秋には、圧巻の紅葉景色になります。もみじの枝越しの京都の街並みや、琵琶湖の景色は格別。【琵琶湖汽船HPより】2024.11
近江神宮
大津/その他
あけましておめでとうございます。初詣に百人一首で有名な滋賀県近江神宮にお参りに行きました。昨年と違い、沢山の人が来ていました。お参りの後、甘酒に生姜を入れてもらい、冷えた体を温めて、昨年お土産に買った百人一首カルタサブレを買いに行くと、百人一首大会の場所を公開していました。いつもテレビで観ているところを初めて見学して雰囲気を感じて来ました。お土産を買ったら、ちはやぶるの原画と同じカレンダーもいただき、嬉しかったです!
滋賀旅行。近江神宮に参拝。階段下から見上げた朱塗りの楼門はとても綺麗でした。百人一首の祖の天智天皇を祀ってる神社で、ちはやふるの舞台として有名。道路から駐車場に入りにくく感じましたが、楼門近くまで車で行けたので良かった。
琵琶湖ホテル
大津市/ホテル
琵琶湖ホテル日本料理【おおみ】で、👩の🎂誕生日祝い会席料理【恩湖知新】をオーダーし、琵琶湖ホテルのオリジナル地酒🍶湖、森、野の3種の飲み比べで、楽しみました。誕生日プレートを用意して頂き、記念撮影も〜📸朝食は、テーブルに備え付けのタブレットで、オーダーするセルフオーダーシステム。着席したまま10種類以上の温かい料理が頂けるので、行列による密の回避、作り置きの料理による食品ロスの削減にもなるとか……スバラシイ(^^)!口コミ投稿キャンペーン
琵琶湖ホテル2階のイタリアンダイニング&カフェベルラーゴ☕️です。天井が高くて大きな窓から差し込む陽の光が開放感のある空間でした☺︎わたしはカフェで利用しました。訪れた時は琵琶湖をイメージしたシュークリーム主な材料の小麦、卵,牛乳全てを滋賀で揃えた料理長こだわりのシュークリームがあったのでテークアウトでシュークリーム『ビワコ』をストロベリーのクッキーを友達のお土産に購入しました。ケーキもホテルの手作りだそうです。ランチ12:00〜15:00ディナー17:00〜20:30定休木曜日
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大津湖岸なぎさ公園
大津/その他
♯滋賀県♯守山市♯湖岸道路側の公園♯琵琶湖♯しぶき氷先程の第一なぎさ公園からの帰り道、湖岸道路沿いの公園でしぶき氷なる現象を初めて見ました。しぶき氷とは海や湖の波しぶきが岸にある木々や岩などに氷結していき、少しずつ成長する。氷の彫刻のような美しい形になること。だそうです。撮影中も寒く、猛烈な風で指がカジカミ、シャッター押すのが辛くなりました。しかも水飛沫をしこたま浴びて、滋賀県の冬を思い知らされました(笑)自然の作る光景に感無量てした。
で売っていたとパリパリ光と風と波音が気持ちいい〜〜✨滋賀の人たち、いつも琵琶湖が眺められて羨ましいなー♥ってか今のこのお籠もりシーズン、海近くに住んでる人がほんとに羨ましい!!撮影仕事帰り。_テイクアウト_テイクアウト_テイクアウト
西教寺(滋賀県大津市)
大津/その他神社・神宮・寺院
滋賀県大津市坂本西教寺明智光秀一族の菩提寺光秀直筆の書状等の展示も、されています。さまざまな庭に建物それに、琵琶湖の見晴らしも綺麗ですよ
明智光秀の菩提寺で、時節柄、大河ドラマに関連した企画展もやっていました。境内は広いので、じっくり見ようと思ったら2時間くらいは掛かると思います。小堀遠州作の客殿庭園の他、庭園が3つくらいあるので、庭園好きな人にお薦めです。薄暗くてよく見えなかったですが、狩野派の障子絵もありました。再訪したいお寺です。明智光秀の菩提寺。彼は坂本城主でした。坂本城の大門を、この寺に移築したそうです。光秀は善政を敷いたそうです。地元では、明智光秀公と尊称されています。本能寺の変も、「信長公を自害に至らしめた」とふんわり書いて有ります。光秀は糟糠の妻を愛し、当時、目下の死は穢れで、夫は妻の葬儀に参加しない習慣でしたが、光秀は葬例に加わりました。彼が、戦争で死んだ部下の日付とそれぞれ同じ量の供養米を寺に奉納した文書が陳列されています。