白毫寺
香住・湯村/その他
【白毫寺九尺藤まつり】120mの藤棚いっぱいに1mを超す花穂をのばし、紫のベールとなって咲く九尺藤を見たくて、朝6時30分に出発。8時前に到着したもののすでに沢山の方が来られており第7駐車場にギリギリ滑り込めたと言う感じ…。藤は「満開」と聞いてましたが、藤の根元側がすでに枯れはじめていて残念。なかなかひとりで来れる場所ではないので、最初で最後かな?。お花見はタイミングが難しい。兵庫県丹波市の山の中、空気はもちろんのこと、池の水がホントに綺麗で…写真に撮るとまるでモネ池の様。池の美しさにテンション上がって、鯉のエサ買ってエサやりも楽しみました。
九尺ふじで有名な白毫寺。訪れた時は7分咲き…くらいでしたが、充分に藤の花を堪能出来ました。藤の花ってこんなに香るんだ、と感動。アクセスは不便ですが、1度は訪れて欲しいスポットです。
黒井城跡
香住・湯村/その他
登山口に無料駐車場があり数台停められます。(少し離れた場所にも20数台の駐車場有り)自販機やトイレもありますがトイレは有料と書かれていました。急坂コースとゆるやかコースがあります。40分程かけてゆるやかコースで登頂しました。途中険しい場所や、足元の悪い所もあるので運動靴等をお勧めします。本丸跡からの景色は最高です。明智光秀ゆかりの地、黒井城跡。戦国時代、黒井城の城主・赤井直正は丹波の赤鬼と恐れられ近隣豪族を従える豪勇な武将でした。織田信長の命を受け丹波平定に出陣した明智光秀。天正四年(1576年)、明智光秀は黒井城攻めを開始、しかし八上城(丹波篠山市)・波多野秀治が織田方に反旗を翻し赤井直正に味方すると光秀は挟み撃ちに会い、敗走をよぎなくされました。丹波の抵抗に苦戦を強いられる光秀。そこで知将・明智光秀は黒井城と八上城の間、鐘ガ坂に金山城を築き双方の城を分断させます。八上城を落城させた光秀、落城の裏には自身の母を人質として差しだし波多野秀治を降服させたとの逸話もあるようです。八上城の落城により、孤立した黒井城は赤井直正の死去とその勢いを無くし二度の攻防、やがて城は落ちました。苦労の末、光秀は遂に丹波平定を成し遂げます。戦国時代の遺構を幾つか残す黒井城跡。登山口より緩やかな道と急な道があり、約20分程で本丸跡まで登れました。途中、落石注意の看板・滑りやすい所がありましたので注意が必要です。登山靴並びに登山の服装で行かれる事をおすすめします。また登山口に自動販売機があったので、登山前に水分の調達ができました。本丸、二の丸より見渡せた360度の景色はとても絶景です。
兵庫県丹波にある山城の跡地。丹波霧と言われる雲海の上から眺める景色は爽快です。この日は天気もよくてブロッケン現象も見られました。また行きたいな〜