両国国技館
両国/その他
令和五年大相撲九月場所9月24日(日)千秋楽・TVで観るのとは違って、大迫力です。🍱頂いたお弁当や飲み物などでお腹いっぱい😊・
両国と言えば❣️やはり❣️国技館ですよね❣️建設後110年が経過した由緒ある建物です🤗大相撲の興行のための施設ですが‼️プロレス、ボクシングなどの格闘技の興行会場、その他のスポーツ競技の会場、ポピュラー音楽のライブ会場としても使用されています❣️先代は現在の国技館とは異なり、京葉道路沿いの本所【回向院】の境内にあった‼️1906年(明治39年)6月着工、3年後の1909年(明治42年)5月に竣工し、6月2日に開館式が行われ、6月場所より使用された‼️しかし6月場所の番付上は「常設館」とだけあって、まだ国技館の名は無かった。6月場所は本来は5月18日より興行との番付が発表されており、工事の遅延によって場所が延期となって6月開催となったという経緯がある‼️設計は日本銀行本店や東京駅、浜寺公園駅の設計者として知られる辰野金吾とその教え子葛西萬司で、「大鉄傘」の愛称は当時のデザインに由来する‼️工事費用は27万円‼️枡席約1,000席を含む13,000人が収容可能で、3,000人程度しか収容できなかった小屋掛け時代の3倍以上の収容能力となった‼️実際の収容人数は20,000人以上ともされていた‼️建物の内径は62m、中央の高さは25mあった‼️天候に関係なく興行を打てるようになったことで、優勝制度が自然発生的に生まれたとする見方もある‼️住所〜東京都墨田区横綱1-3-28
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回向院
両国/その他
力塚と回向院相撲❣️【1枚目】力塚です❣️日本の国技である相撲は❣️江戸時代は主として公共社会事業の資金集めのための勧進相撲興行の形態をとっていました❣️その勧進相撲が回向院境内で初めて行われたのは明和五年(1768)のことで、寛政年間を経て文政年間にいたるまで、勧進相撲興行の中心は回向院とされてきました❣️やがて天保四年(1833)より当院は春秋二回の興行の定場所となり、明治四十二年の旧両国国技館が完成するまでの七十六年間、「回向院相撲の時代」が続いたのです❣️力塚の碑は、昭和十一年に相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊の為に建立したものですが、その後も新弟子たちが力を授かるよう祈願する碑として、現在も相撲と当院とのつながりを示す象徴になっています❣️住所〜東京都墨田区両国2-8-10
可愛い桜🌸が咲いてました。何の建物がよく分からないけど関係者以外入れない雰囲気だったけど建物の窓とか凄く素敵でした中を覗くとステンドグラスが優しい光が☺️猫塚の可愛いオブジェに鼠小僧のお墓はなんか不思議😳石があってそれがお墓?なんか削ると運気が上がるとの事😁早速削って来ました😍👍😁花手水最近東京でも増えて来てますね☺️回向院(えこういん)もっとちゃんと調べてから来れば良かったと帰って色々調べたらもっともっと見所が😂😅なんか千住博さんの滝の絵も展示してあったみたいで檀家さん以外入れないのかなと覗いただけの建物が😆またまたリベンジですね〜😆何時も詰めが甘いとうちのに怒られる😅