藤江氏魚楽園
山田市・田川市・田川郡/公園・庭園
数年前の水害で被害を受けて、土砂が流れ込み休業していた魚楽園今が1番良いらしいと言うことでいってきました!!さすがに前日にテレビ中継されていたので、ピークに混雑していました。カフェは、なかなかの待ち時間でした。魚楽園の歴史魚楽しければ人また楽し人楽しければ魚また楽し「魚楽園」という名前は、文久2(1862)年に江戸時代の漢学者村上佛山氏が、中国の詩経の大雅篇の一文にある「魚楽しければ人また楽し、人楽しければ魚また楽し」から引用して命名したといわれています。これは当時の京都が応仁の乱で荒廃しており、戦乱から逃れてきた雪舟が、戦争を憂い、平和を願う心境を表したもので、平和への願いを込めた理想郷として策庭されました。魚楽園は禅僧・雪舟が築庭したといわれる、癒しの庭園雪舟が中国で学んだ山水の技術を生かし、自然の地形を利用して築庭したとされる庭園。様式は蓬莱式庭園とされ、池中に仙人が住む蓬莱島、鶴と亀を表す鶴石、亀石を設けており、雪舟の庭園でも初期の物とされます。石組は仏を表し、恰も曼荼羅のようでもある庭園は雪舟の特徴が遺憾なく発揮されています。
藤江氏魚楽園へ残念ながら休園中でした🙂↕️実際は入園料大人300円必要です。駐車場は無料でした😊入り口まででしたが、もみじ狩りは少しだけ楽しめました😉
道の駅 おおとう桜街道 さくら館
山田市・田川市・田川郡/健康ランド・スーパー銭湯
福岡から飯塚を通り過ぎ田川にいくと道の駅おおとうがあります。夏は🌻ひまわり、秋はコスモスが咲きここが有名なのは、一億円トイレがあるからです。金のトイレでもあるの?と思ってたら、館内に入ると桜ともみじの陶板、正面にはクリスタルピアノがあり優美トイレ(1億円トイレ)、物産館、フードコートがありました。※トイレは無料となっています。
2023.4.29おはようございます☔️雨の朝です!昨夜は道の駅おおとう桜街道で♨️に入って車中泊♩*゜なかなか良い♨️でした!大人¥650ここのおトイレお花の陶板が飾ってあったり1億円のトイレがあったり!(時間にいなくて見られなくて残念(・-・̥))♨️は22時まで!お食事処が20時までで間に合わず近くのラーメン屋さんで自分はもやしラーメン🍜¥500期待してなかったけど選んだ細麺普通はかなり好みもやしも細めシャキシャキで美味しかったけれどスープもまぁまぁだったけれど醤油でも味噌でも豚骨でもなくなんだったんだろう???今から雨の大宰府天満宮へ🚗💭
道の駅 おおとう桜街道 もみじ館
山田市・田川市・田川郡/その他
今年は長雨と日光不足!?のせいで、ひまわり🌻はすでに咲き終えていましまた。福岡市内から八木山バイパスをひたすら、行橋方面へまっすぐ進みます。福岡県の真ん中あたりが田川で、IKKOさんの出身地でもあります。道の駅おおとう桜街道もみじ館には、産直なので、農家さんから新鮮な野菜やお肉、果物などたくさん陳列されています。田川の名物の食べ物のフードコートもあり、子供たちが遊べる公園も完備されています。田川ってホルモンが有名!?なのか、ホルモン鍋のセットがたくさんありました。駐車場は広々としています。電気自動車の充電ステーションもあります。夏はひまわり🌻秋はコスモスが咲きます。おすすめな道の駅です。
2024.12月10日𝙏𝙪𝙚𝙨𝙙𝙖𝙮今年初めてのクリスマスイルミネーションに行って来ました*↟⍋*↟駐車場の手前から道路の街路樹が飾られており光のトンネルを車で走っている感覚でした!(3枚目)ここは毎年イルミネーションをされていますがテーマが毎年変わります。点灯式で公表されたそうですが今年のテーマは「夢は叶う」でした!なので9枚目、ここでも大谷さん活躍してました😊どこも素敵だったのですが、私のお気に入りは1枚目のツリー、2枚目の和傘(4枚目の光のトンネルから見れる)、5枚目のモミジのイルミです(´͈ᵕ`͈)♡来年1月31日まで開催されており、いつもあるのか分かりませんが、今日は出店も出てました!行ってから知りましたが温泉施設もありましたよ♨️
外部サイトで見る
英彦山神宮
山田市・田川市・田川郡/その他
英彦山神宮の御朱印開口一番に、インターネットで売るのか?とか言われはぁ?となった英彦山神宮でもらった御朱印御朱印帳を持っていくと300円、紙でもらう場合は、ペナルティで500円と言われました。コロナ禍で御朱印帳を断る神社ばかりなのにここは受け付けてくれるんだなぁと思いました。そして、お土産用の御朱印もだめだの紙で貰う御朱印に対しても、ペナルティ!?御朱印をネットで売ることにお怒りでしたが、私そんなことしません^^英彦山神宮は福岡県田川郡添田町英彦山にある神社です。とにかく遠いんです。正確な創建年代は不明。祭神天忍穂耳尊が降臨した霊山として古くから信仰されてきたといい、済仁天皇四十一年(前57年?)に英彦山山頂に社殿が建てられたとされます。927年(延長五年)成立の延喜式神名帳にみえる「忍骨命神社」は当社ともされ、平安時代以降神仏習合は進み、「英彦山権現」と呼ばれて修験道の拠点として栄えました。英彦山は古くは日子山といいますが819年(弘仁十年)に嵯峨天皇の詔によって「日子」が「彦」に改められたといい、1729年(享保十四年)に霊元天皇から「英」の字を贈られ「英彦山」となった。明治維新後神仏分離令により仏教的な要素は除かれて英彦山神社と称するようになり、近代社格制度のもとでは1898年(明治三十年)に官幣中社に列せられている。1975年(昭和五十年)に現社名に改称。
1、2、3枚目スロープカー終点駅の上にある奉幣殿5、枚目此処から本宮へのお参りを6、枚目下津宮からの景色7、枚目下津宮への石段横のお天狗様8、枚目下津宮への石段正面奥に下津宮