筑波山神社
つくば/その他神社・神宮・寺院
つくば駅からバスで筑波山神社へ。筑波山に登る前にこの神社がありますが、何気なく観ていたら「ガマの油売り口上の実演をやっているので見学しませんか?」と声をかけられました。最初は自分と1組の親子だけだったのが、徐々に人が集まってきて、最終的に数十人になっていました。初めて見ましたが江戸時代からある実演販売面白いですね〜思わず一つ買ってしまいました😁土日、午前10時〜午後3時に境内で実演しているそうなので、筑波山を訪れる時は是非一度見てみてください。楽しいですよ!
あれに見えるは関東平野❣️筑波山神社⛩筑波山中腹⛰からの景色😊✨この筑波山神社⛩といい‼️旅館江戸屋🏯といい‼️カフェ日升庵🍧といい‼️〜こんな絶毛で暮らせる贅沢って羨ましい限りです😭👍✨筑波山は、関東地方に人が住むようになったころから、信仰の対象として仰がれてきました。御山から受ける恵みの数々は、まさに神からの賜物でありました。その山容が二峰相並ぶため、自然に男女二柱の祖神が祀られました。その後祖神は「いざなぎの神、いざなみの神」と日本神話で伝えることから、筑波の大神も「いざなぎ、いざなみ両神」として仰がれています。第十代崇神天皇の御代(約二千年前)に、筑波山を中心として、筑波、新治、茨城の三国が建置されて、物部氏の一族筑波命が筑波国造に命じられ、以来筑波一族が祭政一致で筑波山神社に奉仕しました。第十二代景行天皇の皇太子日本武尊が東征の帰途登山されたことが古記に書かれ、その御歌によって連歌岳の名が残ります。奈良時代の『万葉集』には筑波の歌二十五首が載せられ、常陸国を代表する山として親しまれたことがわかります。延喜の式制(927年)で男神は名神大社、女神は小社に列しました。中世以降仏教の興隆につれて筑波山にも堂塔が建ち、小田城主八田知家の末子八郎為氏が国造の名跡を継いで神仏並立の時代が続きました。江戸時代、幕府は江戸の鬼門を護る神山として神領千五百石を献じました。幕末になって藤田小四郎等が尊王攘夷の兵を起した筑波山事件を経て明治維新となり、神仏が分離されて神社のみとなり、明治6年に県社となりました。