鎌原観音堂
嬬恋村/その他
2024.3.31鎌原観音堂天明三年の浅間山噴火でかろうじてこの観音堂に登ってきて助かった村人90余名の方々が互いに縁を結び家族を構築して、村の再建に努めて来たことによりこの村から存続できたことから、この観音堂はこの村のシンボルです。赤い橋の下には当時の階段がわずかながら見えました。命を受け継いだ方々の強い意志を思いました。
天明3年の夏空が灰色に包まれ浅間山が噴火しました🌋それは江戸にも影響するほど大規模な噴火でした流れでた溶岩によって埋まってしまった村がありますそれがここ『鎌原地区』(かんばらちく)です。村のほとんどの方が亡くなってしまったのですが生き残った方々が逃げてきたのがここ鎌原観音堂でした。よく見ると赤い橋がかかっている階段部分の下にも階段が続いていますこの辺りでは高台であった観音堂の頂上辺り15段だけが残ったんですそしてこの階段下部分から若い女性が年上の女性をおんぶしているような形のご遺体が見つかりました。これがイタリアの世界遺産ポンペイと同じ物語だと言う事ですぐ近くの資料館にはポンペイ遺跡のレプリカが置かれました。