コンラッド大阪
肥後橋/ホテル
至福のafternoontea🫖🍓大好きな先輩とお互いの誕生日のお祝いということでコンラッド大阪のアフタヌーンティーに行ってきた〜1人6500円とやっぱり値段は張るけど、スイーツは美味しかったし、シンガポールの有名紅茶のTWGも飲み放題で至福だった〜☺️誕生日くらいこういう非日常感を味わえるのはとってもいいなと思いました!また、来年も素敵なところ行きたいな〜
いつか行ってみたいと懇願していたコンラッド大阪❗️連れて行ってもらいました〜😂😂40階から見える景色を楽しみながらリッチすぎるアフタヌーンティーをいただきました🤤眺めが最高でした❗️夜だったらプロポーズに最高だろうなーと思いながら(笑)優雅なひと時を過ごさせていただきました。またご褒美に行きたいです🥹
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フェスティバルホール
肥後橋/センター施設
何度もツアーで来日しているリッチー・ブラックモアが初めて日本の地を踏んだのはディープ・パープルのメンバーとしてであった。パープルの初来日公演が1972年。既にグランドファンクやツェッペリンが来日公演を行なっており、現在では歴史の一部となっている数多くの来日公演が行なわれた70年代において、日本のファンにとってひときわ輝いているのが、このパープル初来日である。ビートルズですら長髪だと騒がれ、うるさい音楽だと批判されていた時代からわずか5年あまり、ロックのみならず世界は大きく変化していた。このパープルの初来日公演はわずか3公演のみしか行なわれなかったが、あらゆる意味で日本のロック史に大きな足跡を残すものとなった。パープルの初来日公演が伝説として現在に伝えられる大きな要因のひとつは、来日公演のみならずあらゆるライヴ・アルバムの中でも傑作として名高い『LIVEINJAPAN』が収録された点が大きく寄与している。その後、ディランやチープトリック、クラプトンなど、数多くのミュージシャンがライヴ・イン・ジャパンをリリースするが、その嚆矢として意義深いものでもある。この時期パープルは第二期にあたり、メンバー的にも充実していたこともあり、非常に優れた内容となっている。当初は日本国内のみでのリリース予定だったが、その内容の良さから逆輸入盤が評判を呼び、その後世界各国でリリースされヒットしたのである。特にセールス的に低迷していたアメリカでは、この初来日のライヴ盤によって人気と知名度が大きくアップした事が特記される。パープルにとってもこの『LIVEINJAPAN』は非常に重要なアルバムと位置付けられており、現在に至るまで様々な形で、あるいは改題を重ね、繰り返しリリースされてきた。現在ではそれぞれ内容の異なる「完全版」やリマスター版なで、三日間のほぼ全曲を聴くことが出来る。しかしこと当日の会場での熱気空気を感じさせるものとして、そして名盤が生まれた日として、この1972年8月15日大阪フェスティバル・ホールでのオーディエンス録音による完全収録版もまた、ファンにとって欠かすべからざる記念碑的なものになるのではないか!FESTIVALHALLOSAKAJAPANAugust15,1972僕がブリティッシュハードロックに目覚めたギターリスト🎸リッチーブラックモア
熊川哲也K-BALLETTOKYO"眠りの森の美女”待ちに待ったこの日がやってきました♪オーロラ姫は、日高世菜さんいつもYouTubeで観ていてLiveで観たかったのです。熊川哲也さんも、絶賛の日高世菜さんもうすぐ開演✨ウキウキワクワク☺️-BALLETTOKYO
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