高松城跡

タカマツジョウセキ

4.00
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広島市/文化史跡・遺跡

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承久の変後、新補地頭として入ってきた熊谷直実の子孫が、荘内の奥地可部町大林の伊勢坪平城に拠った。戦国時代初期に熊谷信直が高松城を築き、山麓には巨岩を積んで石垣とした居館跡がある。熊谷氏は武田氏に属して毛利と戦ったが、敗れて臣従した。以後毛利の陣営で中国制覇に従い、天正19年(1591年)毛利氏の広島城移転に伴って広島に移り、城は廃城となった。

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レビュー

  • あるふぃすた

    あるふぃすた

    姉さん、また発作です(笑) 買い物から帰ってきて気づいたら山を探してまして、急遽昼から登って来ました高松山⛰ 前日雨が降りまして、そんなに気温が上がりそうになかったので舐めてましたが、ちょっとした樹海がありジメジメでした。ですが、往復で1.6キロ、50分の標高339m、空いた暇な時間で登れますよ😎 やはり夏なので大汗💦 飛ぶ事を忘れてました。 お疲れ山でした⛰ #今ちゃん

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基本情報

高松城跡

タカマツジョウセキ

広島県広島市安佐北区可部町

アクセス

(1)可部駅から徒歩で60分

特徴・関連情報

備考

時代 :1591年

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