人吉城跡

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球磨川の川面に深い影をおとす人吉城は、もと平頼盛の代官矢瀬主馬助の山城だったが、建久9年(1198)相良長頼が矢瀬氏を滅して城主となった。以来、明治維新による廃藩置県まで700年、相良氏が歴代にわたって居城した。「繊月城」という別名をもつ。球磨川と胸川を自然の堀とし、球磨川に迫る険しい地形を利用した要害といえる。城の建物は享和2年(1802)、文久2年(1862)の失火と、西南の役の兵火に焼けて現存していないが、近世初期に築かれた本丸石垣や石段、古井戸などが歴然と残り、当時をしのぶことができる。水手門の武者返し(刎ね出し)は、北海道の五稜郭に倣った新様式で、城跡全域が国の史跡になっている。日本百名城に選定されている。※豪雨災害の影響により一部立入禁止となっています。

「人吉城跡」の紹介記事

人吉エリアの「日本遺産」にふれる旅!街に根付く歴史を感じよう!

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「人吉城跡」の基本情報

名称

人吉城跡

カテゴリー

その他・その他

住所

熊本県人吉市麓町

アクセス

(1)人吉駅から徒歩で20分

駐車場

電話番号

0966-22-2111

備考

時代 :鎌倉初期

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