カチガラスさんが投稿した口コミ

 2026/7/23 (木)
 Epilogue : Birdwatching in Amami, Okinawa & Ishigaki
 於 : 奄美名瀬港発 新鹿児島港 航路
 2026/5/10 撮影 : 夜が明けて、眼前に開聞岳がその姿を現した。

 かつて知覧や鹿屋の基地を飛び立った若き特攻隊員たちが、祖国との永遠(とわ)の別れに敬礼を捧げ、翼を振って瞼(まぶた)に焼き付けた、あの開聞岳である。
 勇士たちは、麗しき薩摩富士の稜線を心の故郷なる「富士山」に重ね合わせ、涙をのんで決死の空へと向かった。
 山を仰ぎ見つつ、沖縄の海へと散っていった夥(おびただ)しい若い命。
 その尊い犠牲と無念を想うとき、万感の思いが胸に迫り、落涙を禁じ得なかった。

 開聞岳に別れを告げた特攻機が沖縄近海に接近すると、米軍艦隊は直ちに迎撃や対空砲火に専念する必要があったため、地上部隊を支援するための艦砲射撃は必然的に中断された。
 ガマ(鍾乳洞窟)に潜伏していた住民や兵士の間では、この「砲撃の合間」を利用して水くみや炊事を行うことがあったと伝えられている。

 特攻隊といえば、海の特攻もあった。
 ベニヤ板で作られた粗末な水雷艇に命を預け、敵艦に向けて体当たりする特攻。
 第十八震洋隊の指揮官、「島尾敏雄」もその一人である。奄美群島の加計呂麻島(かけろまじま)に赴任し、終戦間際に特攻出撃命令が下るものの、発進がないまま終戦を迎えた。
 この極限状態での生と死、部下や島民との関わりは、のちに戦争文学の傑作『出発は遂に訪れず』に結実している。

 二度とこのような惨禍を繰り返してはならない。
 かつて知覧や鹿屋の地を訪れて以来、私は開聞岳を太平洋戦争の指標として心に刻んできた。

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