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旧秋元別邸(つつじが岡第二公園)

ここ群馬県館林市のつつじが岡公園付近には
色々な観光地が点在してます😊

これは、旧秋元別邸です😇🤣🤩

🔴 旧秋元別邸は、明治末期に建てられ、秋元興朝(おきとも)とその子春朝(はるとも)が別邸として使用した旧館林藩主秋元家に係わりの深い建物です。
つつじが岡第二公園の敷地内にあり、4月中旬から5月上旬ごろにかけてツツジの花が彩りを添えます。また、隣接する花菖蒲園(昭和34年に皇太子ご成婚を記念として造園された)では、約270品種の花菖蒲が6月ごろ咲き誇ります。

生祠「秋元宮」・旧秋元別邸

ここにまつられている秋元志朝(あきもとゆきとも)は、弘化2年(1845)、山形から館林に「転勤」してきた館林城の殿様です。
その当時、赤生田村民は、水害や干害で苦しんでいたので、年貢の取り立て方を変えるなどして村人のための政治を行いました。また、災害が発生した時には、救援活動もしてくれました。
そこで、村民は、お礼の気持ちをこめて、志朝を生祠秋元宮としておまつりしました。昭和48年4月、市の史跡に指定。

🔴 「秋元家」(あきもとけ)は、「徳川家康」(とくがわいえやす)に仕えた大名です。転封(てんぽう:所領を別の場所に移すこと)を繰り返した秋元家が、最後に所領としたのが上野国館林藩(こうずけのくにたてばやしはん:現在の群馬県館林市)でした。
徳川家と深い縁があったにもかかわらず、幕末は新政府側の一員となった秋元家の歴史とはどのようなものだったのでしょうか。


秋元家のルーツは、藤原氏一族の宇都宮氏。「宇都宮頼綱」(うつのみやよりつな)の子が上総国周淮郡(かずさのくにすえぐん:現在の千葉県)の秋元荘に住んだ際に、本貫(ほんがん:苗字の発祥地となったところ)としたのが始まりです。

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