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 2025/5/11 (日)
 北海道(留鳥・夏鳥)探鳥
 
 年寄りにとって、函館と言えば、榎本武揚(たてあき)である。
 明治 8年(1075) 3月 8日、ロシアのサンクトペテルブルク(当時の首都)で、駐露特命全権公使を拝命した「榎本武揚」は露外務省アジア局長のピョートル・スツレモーホフと向き合った。
 スツレモーホフとの協議は延々と続いたが、榎本は粘りに粘り、ついに樺太を放棄する代わりに、カムチャツカ半島まで延びる千島列島全島の譲渡を勝ち取った。
 榎本がロシア側全権のアレクサンドル・ゴルチャコフと樺太千島交換条約の調印を交わしたのは 1875年 5月 7日であった。

 おそらく最後の訪問となろう北海道。
 先の大戦で、ソ連の侵攻から北海道を守り抜いた先達の叡智を敬意を以て表敬したい。
 榎本武揚が獲得した千島列島の最東端の占守島(しむしゅとう)にソ連はポツダム宣言を受諾した後に侵攻してきたのである。
 樋口季一郎中将の英断と池田末男大佐(戦死後 少将)の戦いが無ければ北海道はソ連により占領されていたのである。
 「陸上自衛隊 第七師団」(千歳市)の資料館を訪ねたが、アポイントメント無しのいきなりの訪問は固辞された。

 樋口中将の命を受けた池田大佐は出撃に際し、「赤穂浪士となって恥を忍んでも将来に仇を報ぜんとするか、あるいは白虎隊となり、玉砕をもって民族の防波堤となり後世の歴史に問わんとするか」と部下たちに問うたという。
 「赤穂浪士たらんとする者は一歩前に出よ、白虎隊たらんとするものは手をあげよ」と呼びかけたところ、全員諸手を挙げて「おう」と応えたそうである。

 1〜2 枚目 : 榎本武揚之像 梁川公園 (函館市)
 3〜5 枚目 : 鷲ノ木、1868(明治元)年10月、榎本武揚率いる旧幕府脱走軍2500~3000名が上陸した地点。遠望の山は駒ヶ岳。
 6枚目 : 占守島を死守した慰霊碑に額ずき献花したかった・・「陸上自衛隊 第七師団」公式HPよりお借りしました。

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