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2024/6/22 (土)
於 : 2024/4/10〜4/14 第一回下甑島探鳥 5日間
上甑島編
経路 : 佐賀市 → 串木野新港 → 上甑島 里港 → 下甑島 長浜港 (投宿地)
薩摩半島から西へ約 45km。東シナ海に浮かぶ上甑島・中甑島・下甑島と縦に 3島を連ねる甑島列島は、国定公園にも指定された風光明媚な島嶼群です。
フェリーは串木野新港発着で約 75分の船旅で上甑島の里港に接岸し、最終の寄港地である下甑島の長浜港に投錨します。
初めてとなる甑島探鳥、上甑島の里港で下船し陸路を選択して投宿地の長浜港へと。
1 : キビナゴの海鮮丼
2〜4 : 上甑島 里港界隈 トンボロ地形
里の集落はトンボロ(陸繫砂州=りくけいさす)と呼ばれる地形の上に成り立っています。海を隔てた島が、沿岸流でできた砂州で結ばれた陸繋島(りくけいとう)をイタリア語でトンボロといい、海底や沿岸流によって運ばれた砂や石が、波の作用によって水面上に現れたものです。
里トンボロは、南北に約 1500メートルで最大幅 1000メートル、最小幅 250メートル、高さは 2、3メートルあります。
北海道の函館、和歌山の串本と並ぶ日本3大トンボロの一つに数えられる。
5〜9 : 上甑島 長目の浜
藩政時代、島津光久公が巡視の際に「眺めの浜」と命名したことが名前の由来とか。
「鍬崎池」「貝池」「なまこ池」の湖沼群は学術的にも貴重な資源で、「貝池」では 30億年前のバクテリア「クロマチウム」が生息。
上甑島の北西部の山裾が太古から風波に崩れ潮風が造営した幅 50m、長さ約 4kmにわたって続く砂州で、「なまこ池」、「貝池」を海と仕切っています。
10 : 里町武家屋敷通りの玉石垣と生け垣
上甑島の里地区と下甑島の手打地区には、小川氏が統治していた頃の名残として武家屋敷通りが目に付く。
1221(承久3)年、承久の乱で南関東の武士、小川季能(すえよし)が鎌倉方につき、戦功をあげたことで甑島を与えられる。
小川氏は、現在の里小学校裏手の丘にあったとされる亀城を居城とし、約 370年にわたって島を統治したとある。
探鳥に併せ地質・地形に歴史好きな年寄りには素晴らしい訪問先となった。
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