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WOWOWでの放送を録画して有ったので見ました。 涙が溢れました😭 次世代に語り継ぎたい「島守」 新元号が令和に変わり、昭和、平成、令和と時が進んでいます。 第2次世界大戦では、日本における最大の地上戦「沖縄戦」をはじめ、長崎、広島での原爆投下、東京や各地方都市においての空爆で300万人以上もの尊い命を失いました。 昭和、平成の時代を歩んでこられた上皇陛下は、天皇として最後となった平成30年12月の誕生日の記者会見で「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と涙で声を震わせて平成を振り返り、昭和の大戦を踏まえた平和への思い、そして沖縄がたどった苦難の歴史についても言及されました。 長期の地上戦が決行された激戦地沖縄の摩文仁の丘。ここは軍事召集で沖縄及び南方で亡くなった方の慰霊碑が立っています。この場所は、沖縄の心「命(ぬち)どぅ宝」(命こそ宝)と訴え消息を断った、当時の沖縄県知事・島田叡(兵庫県出身)と沖縄県警察部長・荒井退造(栃木県出身)の終焉の地でもあります。 摩文仁の丘の中央には、沖縄県職員の戦没者を慰霊する「島守(しまもり)の塔」があり、その奥には、島田と荒井の連名の「終焉の地」の碑があります。隣には、栃木県の慰霊塔「栃木の塔」その背中合わせに兵庫県の慰霊塔「のじぎくの塔」が立っています。これらの3つの塔の配置は、「生きることの尊さ」を後世に伝えてほしいと、この地で生涯を閉じた島田と荒井の信念を継承し、3県の慰霊塔が寄り沿って立っています。 沖縄戦では、家族や友人、そして官僚や学徒兵などそれぞれの立場での隠されたドラマが多くあったことでしょう。映画「島守の塔」は第2次世界大戦末期、長期の地上戦が決行された地沖縄を舞台に、県民の命を必死に守る戦場の知事と1人の警察部長のそれぞれの苦悩や葛藤などの生き様を通して「人間の命の尊さ」を描く映画を企画しました。 第二次世界大戦末期の沖縄では、日本国内で唯一の地上戦が行われようとしていた。沖縄県警察部長だった荒井は、楽観的であった当時の知事に代わり県民の疎開、保護に力を入れ、新たな県知事として着任した島田も戦いの混乱のなかで疎開の促進、食料の確保といった県民の生命保護に努めていた。戦況に翻弄されながらも2人の官僚は、県民のために心を砕き、その命を守ろうとする。

3ヶ月前・31 views沖縄県
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