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銀座三越

銀座三越の9階
地上31mに広がる気軽に休める憩いの空間です。
新館には美しい芝生広場と季節の草木が彩りを添える「テラスガーデン」があり、テーブルや椅子、ベンチを設置。太陽の下で自然と触れ合いながら、カフェでテイクアウトしたサンドイッチなどが食べられます。
そこにあるのが銀座出世地蔵。
二つのいわれがあり、ひとつは次のようないわれです。
明治の初め、「三十間堀」に住む石工の弟子が自分の親の供養のためにお地蔵さまを彫りたいと願い機会を待っていました。当時は親方の許可を得ず彫ることはできなかったので、なかなか彫れませんでした。
あるとき、親方が旅に出ることになったので、留守の間にお地蔵さまを彫り上げました。
しかし親方に見つかると叱られると思い、三十間堀界隈に埋めてしまいました。
親方が旅から帰って暫くすると、その弟子の夢枕に、夜な夜なお地蔵様が姿を現すようになったので、思い切ってその訳を親方に打ち明けました。
親方は早速お地蔵様を手厚くお祀りするよう命じ、お堂をこしらえ花を供えてお祀りしたということです。

もうひとつは、石工の弟子が三十間堀にお地蔵様を埋めたところまでは同じです。
三十間堀に埋めた後、三十間堀の護岸工事が行われましたが、何度修復しても同じ場所が壊れるので不思議に思って丹念に堀をさらったところ、お地蔵さんが出てきました。
これは,あらたかなお地蔵様だということで、芝増上寺の住職に預けて供養しました。
その後、この住職が浅草四方寺に招かれたため、お地蔵様を返し、銀座四丁目の空き地に安置したというものです。

銀座出世地蔵が祀られたのは、銀座に煉瓦街が建築された1873年以降1902年以前のことと考えられています。
1923年9月の関東大震災で、銀座地区も焼け野原となりました。また太平洋戦争で銀座はほぼ消失しました。それでも終戦の翌年には180軒あまりの店が再開し、銀座復興祭を行い、東京の人々を元気づけました。

戦後、出世地蔵は、しばらく4丁目の道端に置かれていましたが、1968年10月に銀座三越の全面改装に合わせて屋上に置かれました。
長い間、道端に置かれていた地蔵が「路上から大きな百貨店の屋上に上り詰めた」と言うことでいつしか人々が「出世地蔵」と命名したということです。

snsで話題にもなっているお地蔵さまにぜひ会いに行ってみてくださいね♪

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