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2023/5/21 佐賀のホットニュース
歴史は永遠に
『 明治新政府が江戸幕府の勢力を一掃した戊辰戦争で、新政府軍側の秋田藩に援軍として駆け付け命を落とした佐賀藩士に秋田で慰霊を続けていることに感謝する顕彰碑が武雄市に完成し、22日、除幕式が行われました。
戊辰戦争では、当時の秋田藩が官軍の新政府軍側について旧幕府軍と戦い武雄を含む佐賀藩の藩士が援軍として駆け付け命を落としたとされ、秋田市で毎年10月に慰霊祭が行われています。
地元の武雄ロータリークラブは秋田で慰霊祭が続けられていることに感謝する顕彰碑を武雄市に寄贈し、22日、市役所の駐車場の一角で関係者による除幕式が行われました。
記念碑は高さ3メートルほどのモニュメントで、説明板には戊辰戦争で秋田藩を救うため武雄から約800人の兵士が駆けつけたことが記されています。
こうしたゆかりで武雄市と秋田市は交流が続いていて、東北を代表する夏祭り「竿燈まつり」で知られる竿燈が武雄市で技を披露するなどの取り組みが行われているということです。
武雄ロータリクラブの山下功会長は「秋田での慰霊祭に参加するなどご縁があって顕彰碑を建てました。今後も秋田とのきずなを深めていきたいです」と話していました。』
出典 : NHK ウエブ
今回の冬鳥探鳥で、秋田市の葉隠墓園を訪れる機会を得た。
秋田市並びに秋田市民の方々によるご厚志を・・・清掃された墓園に感じ入った。
武雄市に奉納される門外不出の秋田竿燈
“明治維新150周年”の節目、12mもする五本の竿燈がドッコイショー ドッコイショーの囃しに呼吸を合わせ、武雄の夜空を焦がした。
明治維新、国を形作るのに西(官軍)と東(幕軍)に分けての戊辰戦争。
いずれの勢力に与していようと、西洋列強の触手から国を護るべき日ノ本は一つの国になった。
東の奥羽越列藩同盟(会津・仙台・庄内・津軽・越後藩)に秋田の久保田藩は薩長連合軍に与し、仙台・庄内藩に攻撃された。
なかでも久保田藩の劣勢を救ったのが武雄鍋島藩の藩士達であった。
遠い陸奥 (みちのく) の地に眠る武雄鍋島藩士、縁者はもとより秋田市は武雄市と今に温情を暖めている。
一度は訪れたいと、やっとその想いが叶った。
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