カチガラスさんが投稿した口コミ
於、2022/12/3 世界遺産の五箇山へ
縄文時代から人々は五箇山に移り住んできたのであろうか。
源平合戦で敗れた平家の落武者が逃れ住み着いたとする落人伝説が残されており、”落人のかくれ里”にも頷ける。
江戸時代には加賀藩領となり、塩硝( えんしょう )や養蚕、和紙づくりが盛んに行われ、人々は加賀藩の庇護のもと糧を得ていたようだ。
合掌造りの家屋は、これらの塩硝・養蚕・和紙を作るために建てられた工場でもあったのだ。
なかでもこれだけの構造物の維持に、五箇山には”結( ゆい )という素晴らしい結束がある。
今でも茅葺屋根の葺き替えが村をあげて実施されているように、人々が互いに助け合う”結( ゆい )”の精神は脈々と引き継がれ、眼前の景観が何百年に至って守られて来たのだ。
この”結”こそが、日本文化の源流なのだ。
1 〜 6 : 菅沼合掌造り集落
7 〜10 : 相倉合掌造り集落
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