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 弘前城趾
 於、2022/11/20 弘前市

 藩領略図より、ねぷた祭は弘前藩津軽家の領地のお祭りで、津軽半島の全域が津軽氏の領地となっている。
 下北半島は南部藩と思い込んでいたが、盛岡藩が分入っていた。
 弘前藩は、お隣の久保田藩( 秋田藩 )同様、先の戊辰戦争では西の官軍に与している。

 400年に及ぶ津軽と南部の確執
 中世の戦国時代、青森県と岩手県の北部は南部氏の支配下にあり、南部氏の家臣として津軽地方の統治を任じられていたのが津軽氏であった。
 戦国の世から天下統一へと向かう安土桃山時代の頃、主家の南部氏で起きた相続争いに巻き込まれた津軽氏は、本家の南部氏から謀反の疑いをかけられたという。
 津軽氏は、謀反の疑いに対して申し開きをする道を選ばず、ピンチをチャンスと捉らえ、主家である南部氏に反旗を翻し、周辺の敵対勢力を攻め領土を拡大する。
 細工は流流、天下人となった豊臣秀吉に働かけて本領を安堵してもらい、南部氏から独立を果たした。
 南部氏にしてみれば、今まで家来だった津軽氏が、独立して自分と対等な大名になることなどは到底認め難たいものであったろうが、豊臣秀吉に歯向かう術なく。
 こうした津軽氏が、強引に独立したことにより、津軽氏と南部氏は、対立する羽目に。
 ここに、400年にわたる津軽と南部の確執が始まったという。
 津軽の歴史に触れ、旅情は遥かなる古( いにしえ )へ!

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