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 於、2022/11/16 三内丸山遺跡

 縄文海進
 1万 2千年前頃に始まる完新世( 現在も続く最新の間氷期 )の前半に始まった縄文海進。
 急激な地球の温暖化による海面上昇によって、日本列島はそれまで陸続きであったユーラシア大陸からは海で分断され人々の往来も遮断されていく。
 マンモスもナウマンゾウも行き来を閉ざされ、寒冷帯を好むマンモスにナウマンゾウは温暖化に生き絶えていったのであろう。
 縄文海進は三内丸山遺跡で、160mもの高さに水位を高めている。
 
 一万年以上という尺度
 縄文文明の始まりは 約 一万五千年前、終わりは 約 二千四百年前。
 これらの年代から現在までを年表に書き示すと、狩猟・採集・漁労の縄文時代が 一万三千年近く続いて、農耕社会が 弥生・古墳・飛鳥・奈良・平安・鎌倉・室町・江戸時代を経て、現在に至っている。 
 農耕社会は僅か、二千年そこいらである。 
 世界四大文明とて、順繰り並べても一万年には遥かに及ばない。

 網籠
 展示物の網籠に釘付けになった。
 日本列島には竹林が無かった時代で、材料には樹の繊維を用い縦横に編み込んだ「網代網み」で作られている。
 全く同じ「網代網み」の網籠が東名縄文遺跡( ひがしみょう : 佐賀市 )でも発掘されている。
 三内丸山遺跡は縄文時代前期~中期 (紀元前約 3,900~2,200年 現在から約 5,900~4,200年前)に対して、東名縄文遺跡は今からおよそ 8,000年前の縄文時代早期の遺跡で、国内最古の湿地性貝塚である。 
 同じ製法の網代網み、技術伝搬によるものなのか? それぞれの地で、それぞれの創意工夫であったのか? 縄文人の知恵を以ってして、おそらく後者であろう?

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