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硫黄山

アイヌ語で「アトサヌプリ」、裸の山と呼ばれる硫黄山。山肌からはゴウゴウと音を立てながら噴煙がほとばしり、周囲には独特の硫黄の匂いが立ち込めています。レストハウスのある駐車場から山裾の砂礫を少し進むと、噴気孔のすぐ近くまで行くことができます。黄色の硫黄の結晶がいくつも見られ、勢いよく噴気があがる様はとてもダイナミック。地球の鼓動を間近に感じられる空間が広がっています。
また、ここは弟子屈町の歴史の大切な1ページとなっている場所。かつて硫黄の採掘で栄えたこの山が、この地に鉄道を敷設させ、川湯温泉の発展を支えてきました。往時の活気あふれる様子に想像をめぐらせながら、歴史を感じるひとときを過ごしてみる。硫黄山は、その名のとおり良質な鉱山資源である硫黄の豊富な山。明治期にはマッチや火薬の原料として、また外貨獲得の手段としても注目を集めます。
この山での本格的な硫黄採掘の開始は、明治10年。釧路の網元である佐野孫右衛門が、政府の許可を受け30数人の抗夫を使って採掘を開始しました。佐野はその後3年がかりで輸送路を開拓し、明治16年には全道一の採掘量を上げるほどの一大事業へと成長を遂げます。
その後、明治20年に採掘権は安田財閥の祖、安田善次郎へと移されます。安田は釧路集置監の囚人達を使ってわずか8ヶ月で標茶までの鉄道を敷設させ、硫黄の大量輸送の道を切り開きます。この鉄道は北海道でも2番目に古いもので、沿線の近代化に貢献するとともに今日のJR釧網本線の礎を築くこととなりました。しかしこの大量輸送の実現により、硫黄資源はあっという間に枯渇し、鉄道の歴史もわずか9年で終幕。明治29年に安田は硫黄採掘事業から撤退し、採掘も中止となりました。
幻のごとく消え去った原野を走る鉄道ですが、現在でも硫黄山レストハウスの横から1.5キロほどの散策路にわずかに軌跡が残されています。散策路は両側に広葉樹が茂り、新緑のころには木々が道路を覆うように見えることから「青葉トンネル」と呼ばれています。

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