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HISTORY 半田運河の歴史

半田の町は、江戸時代前期から酒や酢を中心とした醸造業で栄え、江戸時代中期 からは大型廻船で半田湊から江戸や大阪などに産物が運ばれていた。天明8年 (1788 年 ) には 5 万石もの酒米が酒造りに充てられ、徳川御三家や尾張藩の奨励 もあって大きく発展していった。文化元年 (1804 年 ) にはミツカン創業者の中野 又左衛門が醸造に成功し、19 世紀半ばには 75 軒もの酒造家がひしめき合っていた。
黒壁の醸造蔵が川面に映る現在の景観となった。平成 29 年 (2017 年 ) には、国の都市景観大賞(都市空間部門)で大賞(国 土交通大臣賞)を受賞した。審査委員から「江戸時代からこの地 を拠点に事業を展開してきた醸造業の老舗企業が中心となり、舟 運に活用された運河と製造施設に使われた建物群という貴重な資 産を継承、発展させて生み出した見事な景観であり、この民間企 業の文化的功績、自治体・NPO・市民が一体となった活動の在 り方が高く評価できる。」と総評をいただいた。この運河の景観
しかし、半田の町を流れる阿久比川は中流から下流にかけて完全な天井川であっ
たため、大雨の際は半田の町はたびたび洪水被害に遭った。その際に溜まる土砂
の堆積で湊の水深が浅くなり船舶の通行に支障をきたしていた。このため、元禄
年間 (1688 年 -1704 年 ) から 10 年がかりで大規模な排水工事と新田開発が
行われ、全長 573m・全幅 33mの入江である半田運河が整備された。安政 2 年
(1855 年 ) の大洪水後にも排水路と運河の工事が行われている。戦後の 1950
年代にはほぼ現在の姿となり、昭和 34 年 (1959 年 ) の伊勢湾台風後には水門
や防波堤護岸の近代化が図られた。平成 3 年 (1991 年 ) に衣浦港半田運河再生
事業計画が策定され、源兵衛橋の改築や遊歩道の設置などが行われ、 を次世代に継承していきたい。

半田市観光協会より

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