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幻想的なヒトノツクリシダム✨〜digest✨ 真夜中🎑の月光🌙✨と❣️ 遠くに見える街灯が〜 まるで〜 灯台 の様でした😊✨ 〜夏の夜空🌌〜時には夜更かしして〜 普段じゃあ観られない景色✨ 〜探してみましょう😊👍✨  日本の近代水道布設の目的の一つは、コレラ菌など伝染病の感染を防ぐことであった。明治10年9月長崎に来航したイギリスの商船からコレラ患者が発生、折からの西南の役後の帰還兵から瞬く間に全国に蔓延した。コレラ患者数13,710人、そのうち7969人が死亡した。さらに、明治12年愛媛から発生したコレラ患者数 162,637人、そのうち 105,786人が死亡している。  明治10年~明治20年の水系伝染病発生の合計患者数 821,320人(死亡者 372,262人)で、その内訳はコレラ患者数 412,577人(死亡者 273,816人)、赤痢患者数 157,876人(死亡者39,096人)、腸チフス患者数 250,867人(死亡者59,350人)と悲惨な事態を引きおこした。明治10年の日本の人口は3587万人に対し、罹患率は非常に高い。のちに判明するが、その原因は汚染された飲み水による水系消化器系伝染病であった。ドイツ人コッホによるコレラ菌の発見は明治16(1883)年のことである。  このような伝染病に対処するために清浄な水道水が必要であった。日本初の近代化水道の布設は明治20年横浜(計画給水人口7万人)においてイギリス人工兵少将ヘンリー・スペンサー・パーマーの計画、設計、監督によって、水源相模川(取水口津久井町)から野毛山貯水池(横浜市)まで約43キロが施行された。  皮肉なことであるが、伝染病を防ぐ近代水道布設に尽力したパーマーさえも、明治26年腸チフスにかかり、リューマチを併発、脳卒中をおこし、54歳で東京麻布で逝去した。昭和62年パーマーの胸像が野毛山貯水池の公園内に建立されたが、この建立は、パーマーによる横浜に完成した日本最初の近代水道の百周年を記念したものである‼️ #小河内ダム #奥多摩町 #奥多摩湖 #おでかけ #タカちゃんの日常

3年前・77 views小河内ダム
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