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筑波山神社

筑波山神社本殿⛩パノラマです🤗
神聖な雰囲気漂う本殿 推定三千年のパワースポット✨

パワーを凄く感じる事が出来ます🤗
そこに神は宿る✨


【摂社】
稲村神社(天照大御神)・安座常神社(素盞鳴尊)・小原木神社(月読尊)・渡神社(蛭子命)
【境内社】
春日、日枝、朝日稲荷、厳島、愛宕神社など
【祭日】
春の御座替祭(4月1日)、秋の御座替祭(11月1日)、年越祭(2月10・11日)、元旦祭(1月1日元日)
【御由緒】
 筑波山は、関東地方に人が住むようになったころから、信仰の対象として仰がれてきました。御山から受ける恵みの数々は、まさに神からの賜物でありました。その山容が二峰相並ぶため、自然に男女二柱の祖神が祀られました。その後祖神は「いざなぎの神、いざなみの神」と日本神話で伝えることから、筑波の大神も「いざなぎ、いざなみ両神」として仰がれています。
 第10代崇神天皇の御代(約2000年前)に、筑波山を中心として、筑波、新治、茨城の三国が建置されて、物部氏の一族筑波命が筑波国造に命じられ、以来筑波一族が祭政一致で筑波山神社に奉仕しました。第12第景行天皇の皇太子日本武尊が東征の帰途登山されたことが古記に書かれ、その御歌によって連歌岳の名が残ります。
 奈良時代の「萬葉集」には筑波の歌25首が載せられ、常陸国を代表する山として親しまれたことがわかります。延喜の式制(927)で男神は明神大社、女神は小社に列しました。
 中世以降仏教の興隆につれて筑波山にも堂塔が建ち、小田城主男八郎が国造の名跡を継いで神仏並立の時代が続きました。
 江戸時代、幕府は江戸の鬼門を護る神山として神領千五百石を献じました。幕末になって藤田小四郎等が尊王攘夷の兵を起した筑波山事件を経て明治維新となり、神仏が分離されて神社のみとなり、明治6年に県社となりました。

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