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日米和親条約付録 下田条約
日米和親条約では、薪、水、食料、石炭等航海に必要な欠乏品を日本幕府が供給することを決めました。また漂流民の保護、下田湾内の小島(犬走島(いぬばしりじま))を中心として周辺七里内(約28km)の遊歩権を保障することなどが決められていました。 嘉永7年5月、箱館の見分から下田に帰港したペリーとの間に、日米和親条約付録下田条約の交渉が了仙寺で開始されます。
付録条約の交渉は、日本側全権・林大学頭(はやしだいがくのかみ)、江戸町奉行・井戸対馬守(いどつしまのかみ)、下田奉行・伊沢美作守(いざわみまさかのかみ)、都築駿河守(つづきするがのかみ)らとペリー提督の間で行われました。
5月13日、両者会見の日ペリー一行は祝砲を轟かせ、大砲4門を先頭に曳き、軍楽隊演奏にのって300人もの水兵が剣付き鉄砲を肩にかけて、了仙寺まで堂々と行進し、下田の人々を驚かせました。
5月22日、了仙寺本堂で条約が調印され、25日に条約書の交換が行われます。調印式においては、日本側は畳を積み重ねた上に正座して、イスに着席した米国側と目線を合わせたといわれています。この付録条約13ケ条(下田条約)の内容の中には、米船員の上陸場所(下田、柿崎その他)、欠乏品供給所、異人休息所(了仙寺、玉泉寺)、洗濯場、立入許可区域、鳥獣の捕獲禁止、商品取引の管理、死亡者の埋葬(玉泉寺)、港内水先案内人の設置等々の細目が決められました。
目的を果たしたペリー艦隊は嘉永7年(1854)6月1日帰国のため、下田港を出港しました🤗
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